2012年9月8日土曜日

20120908

Home
「漢文読解」

(http://furyuu2012.dtiblog.com/の2012年07月29日記事) 空海・三教指歸
原文:
文之起必有由。天朗則垂象、人感則含筆。是故鱗卦篇周詩楚賦動乎中書于紙。雖云凡聖殊貫、古今異時、人之寫憤何不言志
 余年志學就外氏阿、二千石文學舅、伏膺鑚仰。二九遊聽槐市、拉雪螢於猶怠怒繩錐之不勤。
訳:
書物の始まりには必ずきっかけがある。空が曇りなく澄んでいれば、(太陽や月や五星[水星、金星、火星、木星、土星]などの天体の)象緯(の光)が天から地に降りてきて、人(聖人)がそれに影響されて心の中で書物を考えるようになる。その結果、『鱗卦(易経)』、『篇(老子道徳経)』、『周詩(詩経)』、『楚賦(楚辞)』の書が心中から出てきて紙に書きとめられた。凡夫と聖人では生きた場所(での言葉)が違い、昔と今では時代(での言葉)が違うが、人が心の中にある書を書き写すときにどうして志を述べないことがあろうか。 私は十五歳のときに母方の舅である文學の阿氏大夫に就いて、ぴったりと従って尊敬して敬った。十八歳で舅の命令を聞き入れて家を出て大学に入った。孫康の雪明かりでの読書や車胤の蛍火での読書の故事のように(夜も)勉強したが心がたるんだ状態にあり、孫敬の縄を頸にかけた居眠り防止策や蘇秦の錐で股を刺した居眠り防止策の故事のように心に緊張感を持って励んだが勤勉になれずにいた。

●第一段落
『文之起~何不言志。』まで、空海は「書の起り」という一貫したテーマを「A→B→C→D→」のように極めて論理的に述べている。
第一文
●山本智教 訳
『人が文章を書くのには必ず理由がある。』
●渡辺照宏 訳
『形や言葉として表現するというには、必ずいわれがある。』
●福永光司 訳
『文章の成立は偶然ではなく必ずいわれがある。』
●加藤純隆、加藤精一 訳
『およそ文章を作るには必ずその理由があります。』

全員誤り。文脈から単語の意味を決めないで誤訳する典型例。また『文』が「漢籍書物」や「漢詩」を指すことは奈良・平安時代の常識。ここで空海は『鱗卦』、『篇』、『周詩』、『楚賦』という具体的な書物の名まで挙げて、この段落で『書の起源』についての話題を一貫して述べているのであって、「文章」についての話題ではない。また平安時代の敦光はそのことをわかっているから、註で『周易繋辞』曰「上古結縄而治後世聖人易以書契」とわざわざ『書』について言及している。
▲第二文
●山本智教 訳
『天が晴れていると、天文のいろいろの現象があらわれるし、人間が感動すると、筆をとって文章を書く。』
●渡辺照宏 訳
『自然界が明朗なときには秩序整然たる自然現象があらわれるし、人間が心に感動するときには文章として書きあらわす。』
●福永光司 訳
『(古人もいうように)天が晴れわたっているとさまざまな天文現象を示し、人が感動すると筆を含んで文章を書く。』
●加藤純隆、加藤精一 訳
『空が晴れ渡っている時には必ず太陽がそのおおもとに現れているように、人が心に何かを感じた時にこそ、人は筆をとって、その想う所を文章であらわすのです。』
全員誤り。『易経』について空海と同じレベルの知識がないから、書かれていることが正確に理解できていない。空海はここで『書の起り』について「A→B→C」と筋道をたてて極めて明快に論理を展開している。つまり『書』とは「天文」の「文」が聖人によって「人文」の「文」に「かた(象)どられ」た結果、できたという理屈である。科挙と同レベルの大学入試を受験しなければならなかった敦光には幼少からの既習事項なので、註で『周易』云「天垂象見吉凶聖人象之」『韓康伯』云「象況日月星辰」又(『周易』)云「観乎天文以察時変観乎人文以化成天下」と、当たり前の常識をすらすらと述べている。

▲第三文
●山本智教 訳
『そのように伏羲の八卦や老子の『道徳経』、『詩経』や『楚辞』に見える文章も、人の感動を紙に書きあらわしたものである。』
●渡辺照宏 訳
『それであるから、伏羲氏の卦、老子道徳経、「周詩」、「楚賦」などの古典も、心の感動を書きあらわしたものである。』
●福永光司 訳
『だから伏羲の八卦や老の著作、詩経や楚辞などの文章も、人が心に感動し、その感動を紙に書きしるすことによって成立したものである。』
●加藤純隆、加藤精一 訳
『中国太古の皇帝伏羲氏の作と伝えられる八卦(易の八つのかたち)の説も、老子の著わした『道徳経』も、周時代までの詩である『詩経』も、『楚辞』も、これら古典はいずれも、先ず作者の心に感動するものがあって、それを紙の上に書き誌したものなのです。』>
全員誤り。前文での解釈の誤りがこの文の訳にも連鎖している。『鱗卦』、『篇』、『周詩』、『楚賦』は「あくまでも聖人の感じた『天文』を書に『かたどった』もの」であり、一個人の感動をべらべらと書き綴ったものではない。また世界文学史の上からも「為政者などの支配階級」や「宗教的な崇拝対象または、宗教者」の事跡等でない一般個人の動向や心情が文学の対象となるのは近代ロマン主義以降であり、例外は万葉集や平安朝以降の日本文学などごくわずかである。ここでの「人」の訳は最初から「聖人」でなければならない。

▲第四文
●山本智教 訳
『聖人とわれわれ凡人とでは人間がちがい、昔と今とでは時がちがっているけれども、私は私なりに、煩悶を除くために心に思うことを言わずにいられようか。』
●渡辺照宏 訳
『もちろん聖人とわれわれ凡人とでは話がちがうし、昔と今では時代もことなるが、それにしても、私は私なりの考えを述べてみたいと思う。』
●福永光司 訳
『凡夫と聖者とでは人間が違い、古と今とでは時代が異なるとはいうものの、人たるもの、心の悶えを晴らそうとすれば、詩文を作っておのれの志を述べずにおれようか。』
●加藤純隆、加藤精一 訳
『これらのすぐれた作者と私たちとは人柄も別ですし、時代も違っていますが、文章を作るという点では同じです。文章とは人間が心の内に動く思いを外に写すのです。私はどうしてもいまここで私の志を文章にして述べたいのです。』>
全員誤り。特に福永以外は主語を取り違えており致命的な誤訳である。空海はこの書においても自分のことを述べるとき「余」等きちんと一人称代名詞の主語をたてている。たとえ文学理論について素人であっても、他人の文章を翻訳しているのだからせめて文章のスタイルということについては注意が向くべきである。
さらに全員『凡聖殊貫、古今異時』の意味が正しくとれていない。漢和辞典をひけば直ちに明らかであるが、「殊貫」に「場所が違う」以外の意味はない。「書の起こり」について書が書かれる「空間」や「時間」が「違う」と言っているのだから、一歩進んでそれらの中でさらに「何」が共通して違うのか考えたい。ここでは当然「書に使用される『言葉』」であろう。また「志」については前文の敦光の註にもあるように、『詩経』の序で述べられているとおり「詩は心の中にあるときは志で、言葉に発せられると詩になる」という意味での「志」である。ここではあくまでも「書の起こり」として「『文』が聖人によってかたどられた『志』」なのであり、この段落を締めくくるにあたり、トピックセンテンスの指す所がコンクルードセンテンスの内容に一致するという、現代でも通用する極めて論理的な書き方を空海はしているのである。


翻訳典拠:
『弘法大師 空海全集 第六巻』(山本智教訳注、筑摩書房、1984年)
『古典日本文学全集 第十五巻 仏教文学集』(三教指帰は渡辺照宏訳、筑摩書房、1961年)
『三教指帰』(福永光司訳注、中公クラシックス、2003年)
『空海 三教指帰』(加藤純隆、加藤精一訳注、角川ソフィア文庫、2007年)