2012年9月30日日曜日

20121007

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「漢文読解」 (http://furyuu2012.dtiblog.com/の2012年08月28日記事)
今日、二ヶ月以上保留にしておいた『三教指帰』・序の判らなかった箇所の謎がようやく解けた。

「勤念土州室戸崎」の後に「不惜響、明星来影」とあって、この“谷”が何を指しているのか、平安時代からの注釈書等の記述でも全く要領をえなかった。ところが今日、日本書紀の蘇我氏についての記述を読んでいたら、『日本書紀・巻第二十四・皇極天皇三年十一月』に、蘇我蝦夷・入鹿親子が甘樫岡に建てた互いの家を「上宮門」「谷宮門」と呼び合う有名な場面で、『日本書紀』は“谷”を「此云波佐麻(これをハサマという)」と割注しており、これで謎が解けた。

「ハサマ」、つまり現代訓読みで「ハザマ」と読む漢字は“岬”や“峡”である。従って『三教指帰』のこの「谷」とはなんのことはない、前出の「室戸崎(室戸岬)」のことであり、空海が真言を唱えて修業したと伝えられて観光地にもなっているあの有名な洞窟のあるところである。だとすればその後の「不惜響、明星来影。」も意味がスムーズにつながる。つまり「室戸岬に行って真言(ダラニ)を唱えたら、直ちにそれが天まで届き(不惜響)、虚空蔵菩薩の化身の明星が光(古文のカゲは明かり本体の“光”の意味もある「*大学受験必修*」)として現れた」ということである。

 一読して意味が容易に判らないときは、絶対に現代の私達の読み方のどこかに間違いがあるのであり、文を書いているときの空海の思考は明晰に決まっている。いずれにしろ千二百年近く間違って読んでいた誤りを、また一つ正すことができたので、そのことはよかった。

●cf.
●山本智教 訳
『谷はこだまを返し(修行の結果があらわれ)、(虚空蔵菩薩の化身である)明星が姿を現わした。』
●渡辺照宏 訳
『はたして谷はこだまし、明星が姿をあらわし、奇蹟を示した。』
●上山春平 訳
『その効験むなしからず、谷にひびきを生じ、虚空蔵菩薩の応化とされる明星があらわれた。』
●福永光司 訳
『その私のまごころに感応して、谷はこだまで答え、虚空蔵菩薩の応化とされる明星は、大空に姿をあらわされた。』
●加藤純隆、加藤精一 訳
『山中で一人修行して大声で真言をとなえてますと、こだまがすぐにかえってきて、自分の心の手ごたえになりましたし、また清々しい朝夕の明星を仰いでいると、自分の胸のうちにも、みほとけの霊応を感得することができました。』
いずれも誤り。